
📘 前回の記事:No11. 見えない不安から逃れるためにー私が選んだ方法
ブログを書いていると、いつも時間がかかります。
言葉がなかなか出てこなくて、ひとつの文章を書くのに、何度も止まっては考え込んでしまいます。
スラスラ書けるタイプではないので、毎回がちょっとした格闘です。
それでも、不思議とその間は、他のことを忘れています。
集中しているというより、「自分と向き合っている」という感じに近いかもしれません。
家事をしているときもそうです。
特に洗濯物を干しているとき。
晴れた空や、庭の緑をぼんやり眺めながら手を動かしていると、
幸せな気持ちになります。
家事は単純作業だけれど、私にとってはリラックスできる大事な時間です。
その一方で、仕事となるとまったく違います。
今は夫と2人だけの職場でフルタイム勤務ですが、気を使う相手がいないはずなのに、なぜか身が入りません。
「もう1時間はたったかな?」と時計を見ると、まだ10分しか経っていない。
やるべきことに向き合っているつもりなのに、どこか上の空で集中できず、落ち着かないのです。
20代のころの仕事も、今と同じ業種でした。
当時は毎日緊張感があり、段取りが悪ければ休日出勤をしてでも取り戻そうとしていました。
手当が出なくても、やるしかないという思いで動いていました。
あれから40年。
技術が進み、仕事もずいぶん効率化されたはずなのに、
この1年で夫から「作業が遅すぎる」と注意された回数は、
両手で足りないくらいあります。
昔はできていたことが、今はうまくこなせない。
落ち込むたびに、「やっぱり私は責任ある仕事に向いてない」と、どこかで言い訳していました。
でも、不思議とブログを書いているときは違うんです。
たとえうまくいかなくても、疲れていても、「自分で決めて取り組んでいる」という感覚がある。
それだけで、気持ちの持ち方が全く違うのです。
「好きだから集中できる」だけでは、説明がつかないように思います。
私は、“自分で選んだかどうか”が、大きく関わっていると感じています。
たとえ苦手でも、「やってみたい」と思って始めたブログ。
誰かに頼まれたわけでも、ノルマがあるわけでもなく、すべてが自分のペースです。
その「選べる」という自由さが、心の中で安心感や充実感につながっている気がします。
一方の仕事は、「やらなければいけないこと」。
確かに自分で選んだ道ではあるけれど、責任や義務がつきまとうと、
どこかで「自由」がなくなってしまうような気がするのです。
その違いが、集中力や気持ちの持続に影響しているのかもしれません。
やる気や集中力は、気合いや根性でどうにかなるものではなく、
「どんな気持ちでその行動を選んだか」で変わるのだと、最近つくづく感じています。
みなさんにも“やる気が出ない自分”に落ち込んだこと、ありませんか?
「これ、向いてないのかも…」って、自分に言い訳したこと、
それは、あなたが怠けているからではなく、
「心がまだ納得していない」のかもしれません。
小さくても、「やってみたい」と思えたこと。
それを、自分のペースで取り組める場所があること。
それが、少しずつでも前に進む力になる——今は、そう信じています。
コメント