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9月7日、日曜日。今回で3回目となる税務署職員採用試験の日を迎えました。
この夏、次男は不安や緊張から腹痛や便通異常が続き、受験できるかどうかもわからない状態でした。運よく心療内科にかかることができ、薬の服用で気分は安定してきました。副作用らしき微熱やだるさはあったものの次第に落ち着き、表情にも少し余裕が戻ったように見えました。念のため消化器内科で検査を受け、体質性黄疸と診断されましたが、治療の必要はなく通院も終了。なんとか受験できるところまで体調を戻せたことに、私たちは胸をなでおろしました。
試験当日
試験当日。残暑の厳しい日でしたが、次男は出発3時間前には起きて身支度を整え、持ち物を確認し、余裕を持って行動していました。自宅から会場までは新幹線で1時間以上。13時から4時間の筆記試験という、健常者でも過酷な日程です。父親に最寄り駅まで送られて出発する次男を見送りながら、私はただ祈る思いで見送るしかありませんでした。
次男が引きこもっていた7年間、母である私は会話がほとんどできず、表情や雰囲気から状態を推し量るしかありませんでした。その日の朝は落ち着いているように見え、少し安心して送り出しました。しかし試験が始まった13時から終了予定の17時まで、私は何一つ手につかず、ただ時計の針を見つめ続けていました。
結果を聞いて
夜9時過ぎに帰宅した次男は、何も言わず自室に入っていきました。その直後、父から「やっぱりお腹が痛くなったようだ」と聞かされました。やはり体調は持たなかったのかと落胆していると、さらに次男の口から「解答欄を間違えた」との言葉。腹痛のせいで冷静さを欠き、マークシートを数カ所空欄のまま提出してしまったとのことでした。適当にでも埋めていればわずかな望みは残りますが、空欄ではどうにもなりません。3度目の挑戦にもかかわらず、今回は一次試験で落ちる可能性が高いと感じました。
受験資格の壁
高卒程度が対象のこの採用試験は、年齢と卒業後の年数で受験資格が決まります。次男は2004年4月7日生まれで、通信高校を4年かけて卒業しました。年齢はぎりぎり条件を満たしますが、卒業後の年数が来年は制限にかかり、受験できなくなる見込みです。つまり今回が最後のチャンスでした。腹痛さえなければ、解答欄のミスも冷静に対処できたかもしれません。朝の希望が一気に絶望へ変わり、私は暗いトンネルに迷い込んだような気持ちになりました。
親としての思い
次男は今21歳。同級生たちは大学院進学や就職準備で忙しい頃でしょう。中学3年から引きこもりになり、通信制高校を4年で卒業した次男。空白の時間はありましたが、この試験に合格できれば、やっと同世代に追いつけると信じていました。それが3回目の挑戦で一次試験すら突破できないとなれば、就職への道が閉ざされるのではないかと、母として受け入れがたい気持ちでいっぱいです。
合格発表は10月9日。期待と現実の間を揺れながら過ごす日々です。そんな中、次男は机に向かい、参考書を開いていました。今度は日商簿記2級の勉強です。これも3回目の受験。公務員試験の直後、父がすぐに申し込み、勉強を始めるように促したからでした。資格を持っていれば、将来何かの役に立つかもしれない。
以前、心療内科の医師から「自分で決断するのが苦手だから、方向を示してあげるとよい」と助言を受けたことがあります。父はまさにその通りに、冷静に次男を導いています。私は一喜一憂して気持ちを乱しているばかり。母として反省すべき点は多いと感じます。それでも、日常の基本を自分でこなせるように声をかけ、支え続けることが私にできる役割だと思っています。
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