
病院にも行けなかった次男が、ついに自分から受診するようになりました。
それは、7年目の引きこもり生活のなかで、初めて見えた小さな変化でした。
中学3年生から不登校になり、通信制高校を卒業するまでの6年間、
昼夜逆転の生活が続きました。
一日中布団に横たわり、携帯やパソコンを眺めて過ごす毎日。
不摂生そのものの生活でしたが、不思議と体調を崩すことはありませんでした。
ところが7年目に入ったころから、腹痛と便意に悩まされるようになりました。
あれほど病院を嫌がっていた次男が、自分から受診する気になったのです。
ちょうど税務職員採用試験の1カ月前、心療内科と消化器内科の両方に通うことになりました。
消化器内科では検査をしても異常が見つからず、通院は3回ほどで終わりました。
一方、心療内科では2回目の診察から、頭の中の混乱や不安を静める薬が処方されました。
身体の検査に異常がないということは、
本人が自覚していない不安や緊張を体が感じ取り、
過敏性腸症候群のような症状を引き起こしているのだろうと、私は考えました。
薬を飲めば症状が落ち着くだろうと信じていました。
ところが、今度は強い尿意が出てしまったのです。
薬の量を徐々に増やしていたのに、不安が静まるどころか、
別の不調が現れたようでした。
ちょうど通院日だったので、朝から緊張が続いていることも主治医に伝えたそうです。
その日から、不安や緊張、パニック発作を抑えるという、
2種類目の薬が追加されました。
処方箋に「パニック発作」と書かれた文字を見た瞬間、
私は言葉を失いました。
思春期に入り自律神経が乱れ、心身の疲れから不登校になった――
そう考えていた私は、
数年間休めば社会に出る意欲が戻ると信じていました。
けれど現実は、体がどんどん弱っていき、
本人の努力ではどうにもならないところまで来ていました。
私は一体、何をしていたのだろう。
まだ21歳という、エネルギーが満ちあふれているはずの時期に、
体調不良に苦しむ次男の姿を見て、
申し訳なさと無力感で涙が止まりませんでした。
不登校になったとき以来の、絶望の涙でした。
勉強や運動ができなくても、
心身ともに健康であることが何より大切――
改めて痛感しました。
最近になって、意欲や日中の活動を少しずつ回復させる3種類目の薬が追加されました。
1・2種類目の薬で不安と緊張をやわらげて夜眠れるようにし、
3種類目の薬で日中に活動できるようにする。
主治医の方針はそういうことなのだと思います。
(私は通院に同行しないようにと次男から言われているので、あくまで想像ですが。)
私自身、60歳を過ぎるまで薬とはほとんど縁のない生活をしてきました。
薬は体に悪いというイメージがあり、家族にも「できるだけ飲まないように」と言ってきました。
けれど、骨粗鬆症が進んで薬の服用が欠かせなくなった今、
ようやくわかりました。
薬もまた「生きるための助け」なのだと。
効果はすぐには見えません。
でも、10年後、20年後のために飲み続けるしかない。
次男の薬も、あっという間に3種類に増え、
この先さらに増えるのではと不安になることもあります。
それでも、最近は夜に眠って朝に起き、
昼間に散歩に出かけるようになりました。
その変化を見ていると、薬の力を少し信じてみようと思えます。
次男の苦しみは、私の悩みよりはるかに深く重い。
私はその痛みを代わることも、癒すこともできません。
ただ、主治医と薬の力を信じて、
少しでも穏やかな日が増えるように願うばかりです。


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