No23.ひきこもって7年目になりました

Uncategorized

前へ:No22. 試験から1ヶ月、また次に進むために

病院にも行けなかった次男が、ついに自分から受診するようになりました。
それは、7年目の引きこもり生活のなかで、初めて見えた小さな変化でした。

中学3年生から不登校になり、通信制高校を卒業するまでの6年間、
昼夜逆転の生活が続きました。
一日中布団に横たわり、携帯やパソコンを眺めて過ごす毎日。
不摂生そのものの生活でしたが、不思議と体調を崩すことはありませんでした。

ところが7年目に入ったころから、腹痛と便意に悩まされるようになりました。
あれほど病院を嫌がっていた次男が、自分から受診する気になったのです。
ちょうど税務職員採用試験の1カ月前、心療内科と消化器内科の両方に通うことになりました。

消化器内科では検査をしても異常が見つからず、通院は3回ほどで終わりました。
一方、心療内科では2回目の診察から、頭の中の混乱や不安を静める薬が処方されました。
身体の検査に異常がないということは、
本人が自覚していない不安や緊張を体が感じ取り、
過敏性腸症候群のような症状を引き起こしているのだろうと、私は考えました。

薬を飲めば症状が落ち着くだろうと信じていました。
ところが、今度は強い尿意が出てしまったのです。
薬の量を徐々に増やしていたのに、不安が静まるどころか、
別の不調が現れたようでした。

ちょうど通院日だったので、朝から緊張が続いていることも主治医に伝えたそうです。
その日から、不安や緊張、パニック発作を抑えるという、
2種類目の薬が追加されました。
処方箋に「パニック発作」と書かれた文字を見た瞬間、
私は言葉を失いました。

思春期に入り自律神経が乱れ、心身の疲れから不登校になった――
そう考えていた私は、
数年間休めば社会に出る意欲が戻ると信じていました。
けれど現実は、体がどんどん弱っていき、
本人の努力ではどうにもならないところまで来ていました。

私は一体、何をしていたのだろう。
まだ21歳という、エネルギーが満ちあふれているはずの時期に、
体調不良に苦しむ次男の姿を見て、
申し訳なさと無力感で涙が止まりませんでした。
不登校になったとき以来の、絶望の涙でした。

勉強や運動ができなくても、
心身ともに健康であることが何より大切――
改めて痛感しました。

最近になって、意欲や日中の活動を少しずつ回復させる3種類目の薬が追加されました。
1・2種類目の薬で不安と緊張をやわらげて夜眠れるようにし、
3種類目の薬で日中に活動できるようにする。
主治医の方針はそういうことなのだと思います。
(私は通院に同行しないようにと次男から言われているので、あくまで想像ですが。)

私自身、60歳を過ぎるまで薬とはほとんど縁のない生活をしてきました。
薬は体に悪いというイメージがあり、家族にも「できるだけ飲まないように」と言ってきました。
けれど、骨粗鬆症が進んで薬の服用が欠かせなくなった今、
ようやくわかりました。
薬もまた「生きるための助け」なのだと。

効果はすぐには見えません。
でも、10年後、20年後のために飲み続けるしかない。
次男の薬も、あっという間に3種類に増え、
この先さらに増えるのではと不安になることもあります。
それでも、最近は夜に眠って朝に起き、
昼間に散歩に出かけるようになりました。
その変化を見ていると、薬の力を少し信じてみようと思えます。

次男の苦しみは、私の悩みよりはるかに深く重い。
私はその痛みを代わることも、癒すこともできません。
ただ、主治医と薬の力を信じて、
少しでも穏やかな日が増えるように願うばかりです。

前へ:No22. 試験から1ヶ月、また次に進むために

コメント

タイトルとURLをコピーしました