No8. 20歳「20歳の集い」を迎えて

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📘 前回の記事:No7. 18歳、選挙を迎えて

「子どもの節目行事に、参加しない我が子を見るのは、親として少し切ない」

そんなふうに感じることはありませんか?

私も、ここ数年、何度もそんな気持ちを味わってきました。

次男は中学3年から引きこもり生活に入り、あっという間に5年以上が過ぎました。
今、彼は21歳。
本来なら「二十歳の集い」に参加するはずだった年齢です。

私が若いころは「成人式」と呼ばれていたもの。
いまは「二十歳の集い」という名称に変わり、内容や雰囲気も少しずつ時代とともに変化しています。

私は昨年から、この「二十歳の集い」で受付スタッフとしてお手伝いをしています。

去年は次男より1学年上の子たちが対象でした。
中学校時代、次男が所属していた部活の先輩たちの名前も名簿にあり、当日は久しぶりにその顔を見ることができました。
みんな大人びた雰囲気になっていて、それでもどこかにあの頃の面影が残っていて。
胸の奥にいろいろな感情が湧いたのを、今でも覚えています。

そして今年。
いよいよ次男の学年が対象の年になりました。

受付名簿には、次男の同級生たちの名前がいくつも並んでいました。
次男のスマホにも、同級生から「一緒に行かない?」というLINEが届いていたようです。
けれど彼は、何も言わず、静かにいつも通りの日常を過ごしていました。

正直、それは私の中である程度、予想していたことでした。
無理に何かを言うこともできず、私は心の中でそっと複雑な思いを抱えていました。

実は私自身、20歳の時に成人式に参加しなかった過去があります。
そのことを、今でも少しだけ後悔しています。

だからこそ、次男には「一度だけでも参加してほしい」と思う気持ちもありました。
でも、それを口に出すことはありませんでした。

迎えた当日。
私は受付スタッフとして、いつものように式場に立っていました。
一人ひとり名前を確認し、笑顔で「おめでとうございます」と声をかけていきます。

その中で、思いがけない再会がありました。

小学校時代、次男と同じサッカー少年団で活動していた女の子が、色鮮やかな振袖姿で目の前に現れたのです。
立派に成長した彼女は、満面の笑顔で「こんにちは!」と声をかけてくれました。

最初は誰だかわからないほど大人びていましたが、あの頃の面影はしっかり残っていて。
自然と「おめでとう!」と声をかける自分がいました。

もし数年前だったら、私は素直にこうはできなかったと思います。
「どうしてうちの子は…」
「なんであの子は、こんなに立派に…」
そんな感情ばかりが胸を締めつけていたでしょう。

でもこの日は違いました。

次男の状況は、今も大きく変わっていません。
それでも、私は他の子どもたちの成長を心から喜べる自分に、ふと気づいたのです。

21年前。
次男は呼吸もせずに生まれてきました。
小さな体で、保育器の中で懸命に生きようとしていた姿は、今も私の心の奥に焼きついています。

この21年間、私は必死でした。
時には流れに逆らい、時には流されながら、それでもなんとか歩いてきました。

社会との距離を縮められない次男を前に、どうにもできないもどかしさや苛立ち、焦りもたくさん経験しました。

けれど今、彼はほんの少しずつ、小さな一歩を踏み出し始めています。
目に見える成果があるわけではないけれど、それでも「確かに前に進んでいる」と、私はそう信じています。

子どもの「節目」は、たとえ本人がその場にいなくても、親の心に何かしらの変化をもたらすものなのかもしれません。

私はこの小さな気づきを、これからの自分のエネルギーに変えていきたいと思っています。

もし、同じように「子どもの成長が見えない日々」に悩んでいる親御さんがいたら、
伝えたいことがあります。

「必ず、心が軽くなる日が来ます」

それは、ある日ふと気づく小さな変化かもしれません。
でもその日は、きっと突然やってきます。

あなたは、お子さんの「20歳の節目」を、どんな気持ちで迎えていますか?

🔜 次回の記事:No9. 20歳、国民年金納付という現実

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