No2.気づけなかったサイン

次男が本格的に不登校になったのは、中学3年の1学期。2泊3日の修学旅行(京都)の直後でした。
けれど思い返してみると、中学2年の後半あたりから、次男の行動には小さな違和感があったように思います。

元々胃腸が弱く、食後にトイレへ駆け込むのは日常茶飯事でした。
秋の校外学習の数日前にも、原因不明の発熱と体調不良で欠席してしまいそうになりましたが、何とか参加。
写真では、いつものように笑ってポーズをとっていました。

それから年が明け、春までの間は特に問題もなく、家族の中では「いよいよ受験の年」と空気が変わり始めていました。
特に私(母)のほうが気合いを入れていた気がします。

次男は、根が真面目で、宿題は必ずやり、定期テストの成績も学年が上がるたびに伸びていました。
私たち親も、期待していたのだと思います。

学校では目立つことはありませんでしたが、先生からは「授業中も部活動もまじめでよく頑張っている」と言われていました。
サッカー部にも熱心に取り組んでいました。

そんなある日、次男が「ユニフォームを洗ってない」と突然激昂し、部活の公式戦を勝手に休もうとしました。
あんなにサッカーが好きだったのに、そんな理由で試合を放棄するなんて、私たちには考えられないことでした。

父が正論で説得しようとしましたが、次男は動きませんでした。
私たちが諦めかけたとき、次男の姿が家から消えていたのです。

どうやら、試合会場まで歩いて行こうとしたようでした。
車で1時間以上かかる距離で、到底間に合うはずもありません。
保護者の方々が協力して探してくれ、数時間後、道を歩いている次男を見つけてくれました。

その夜、私は怒りにまかせて次男を叱りました。
でも、彼は何も反応しませんでした。

今思えば、あの時が最初の「サイン」だったのです。

体調不良と気力の低下はそのまま続き、5月半ば、ついに完全に力尽きたように学校へ行けなくなりました。

「あのとき、もっと手を差し伸べていれば」と今でも自分を責める気持ちはあります。
けれど同時に、「あの性格なら、なるべくしてそうなったのかもしれない」と思うこともあります。

内向的で真面目な次男は、ストレスを溜め込みやすく、15歳の彼にとって、楽になる手段が“ゲーム”だったのでしょう。

過去は変えられない。そう分かってはいるつもりでも、
私は今日も、ため息をつきながら、食事の支度をしているのです。

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