修学旅行の数日前も、次男の体調不良は続いていました。けれど、ゲームだけは朝から晩までやっていたのです。
いよいよ出発前日になっても、荷物をまとめる気配すらありません。「まさか欠席はしないよね」と心配しながら見守っていると、なんと次男は朝方になってから一睡もせずに準備をし、そのまま出発していきました。
それまで、次男のことで神経をすり減らし続けてきた私にとって、あの3日間(修学旅行中)は、久しぶりに訪れた静かな時間でした。
無事に帰ってきて、「もしかしたら状況が好転するかもしれない」――そんな淡い期待もつかの間、次男は以前よりもっと思い詰めた顔で、再び部屋にこもるようになってしまったのです。
学校では修学旅行後に作文の提出が課題として出されましたが、それが書けずに、次男は学校を休み続けました。
担任の先生や部活の先生が家まで様子を見に来てくれましたが、状況は変わらず、ついに「しばらく休ませる」という判断をすることになりました。
次男は、部屋の明かりを嫌がり、布団の中でゲームを続ける日々。外に出ることもなく、部活動で日焼けしていた顔は、みるみる青白くなっていきました。その姿に、ただならぬ気配を感じていました。
定期テストの点が悪くても、出席していれば“1”はつかないとされる公立中学で、次男の通知表はオール1。さらに、高校受験では「中学校での出席日数」が重視されます。公立・私立問わず、欠席が多すぎれば合格は厳しい――次男は、未来の扉を自ら閉ざしてしまったように見えました。
もともと、将来や進路の話をしても、真剣に考えている様子はありませんでした。けれど年が明け、卒業が近づくと、担任の先生が通信制の公立高校を紹介してくれました。「筆記試験はないけど、作文の提出が必要です」と。
作文ぐらいなら、次男もやってくれるだろう――。そんな私の願いは、また裏切られました。締め切りが迫っても、次男は一文字も書こうとせず、完全に心を閉ざしていました。
悪いとは思いながらも、私は次男になりすまして、作文を書き始めてしまいました。提出前に先生に見せると、「これは作文ではない」と指摘され、添削までしてもらいました。
いよいよ清書という段階になり、「私が書いても中学生らしい文字が書けるのか…?」と不安になりました。そこで、1つ下の三男に頼み込み、代筆してもらうことにしたのです。
あのとき、無理なお願いを受け入れてくれた三男には、今でも心から感謝しています。彼が手伝ってくれなければ、きっと次男はどこにも進めなかったでしょう。
何とか高校に合格し、卒業式を迎えた日――もちろん次男は、卒業式には出席しませんでした。
私がひとりで校長室に行き、卒業証書を受け取ったとき、元気だった頃の次男の笑顔がふと浮かび、涙が止まりませんでした。
辛くて、悲しくて、ただ、静かに立ち尽くしました。
コメント